映画

さまざまな「良さ」を探して触りにいく

「良さの手ざわり」という言葉をたびたび思い出す。たしか『フェルマーの最終定理』(サイモン・シン著、青木薫訳/新潮文庫)に出てきたもので、まだ確証はないが今の方向でうまくいく、という予感を指した言葉だ。そういう感覚は誰しも持ったことがあるだろ…

装いたい、装えない、けどとりあえず痩せる

街場に出て、肩の力入っている風でもないのにきちんとおしゃれな人を尊敬の念で一杯になる。まっすぐ、自分の美を見つめ続けた人なんだな、と。

誠実さはケアになりうる

加齢のせいか、ブランド名がわやわやになることがある。「IKEA、じゃない、IENA? でもない……IPSAだ」。IAEAは浮かんでこないので、頭のどこかでカテゴライズはされている。

言い訳を考えるよりやった方が楽

月曜リスケした映画鑑賞リトライである。同じ夕方の回をとっていた。ざっくり間に合う時間に出たはずが途中駅の待ち時間が予想外に長く、調べると劇場着がギリギリになりそうだった。汗かきながら予告編入場をする気概はなく、またもキャンセル手続き。 とり…

数を打て迷うな観にいけ忘れるな

前回の仕事でそういえば『PERFECT DAYS』先行上映するって見たなあ、と思ってちらりと調べると昨日の話だった。完全に機を逃している。