さまざまな「良さ」を探して触りにいく

 「良さの手ざわり」という言葉をたびたび思い出す。たしか『フェルマーの最終定理』(サイモン・シン著、青木薫訳/新潮文庫)に出てきたもので、まだ確証はないが今の方向でうまくいく、という予感を指した言葉だ。そういう感覚は誰しも持ったことがあるだろう。それを触り心地に喩えられたことで、より身体的に感じられるものとして迫るものがあった。

 ここ2日連続して映画を観たけれど、それぞれにその手ざわりを感じて観に行った作品だった。ただ同じ感触かといえばそこは違って、それぞれ異なる風合いがある。それでも同様に「良い」と感じられることがまた面白い。良さの種類はたくさんあるし、何を良いとするかは人によって違う、ということも思い出させてくれる。

 手ざわりで苦手と思ってもそこで苦手だと思ってもいける場合もある。けれど、いずれにしろ最初に触れなければ始まらない。それを思い出させてくれるという意味でも、ずっと噛み締めてしまう言葉のような気がする。

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 気合いの9時起床、最後のみかんを口に入れ下北沢へ。前日予約した『リバー、流れないでよ』鑑賞。『グランツーリスモ』とはまた違った良さ。終映後吉祥寺へ向かい回る寿司をつまみLoftへ。手帳に貼るシールタイプのカレンダーを探し出せず、売り場をさまよう。普通の手帳と一緒に面陳ラックに置かれていた。東急を覗いたところ、買えないだろうと諦めていた3coins×サウナイキタイコラボグッズを発見。全力でカゴに入れる。

 帰宅し洗濯、シャワーを浴びて四萬氏宅へ。おでんを食べながら日本シリーズ観戦。二人とも野球をそれほど追っている人種ではなく、これまでの対戦成績を見て「いい勝負してんなァ!」と驚く。なんとなく阪神を応援していたものの優勝を決めることは叶わず。今日の山本がキレッキレすぎたよね……勝てる気がしなかった……とぼやきながらその後もダラダラと日本酒を飲み、帰れる時間だったもののぬるっと泊めてもらうことにして12時ごろ就寝。